地震とかあると考えちゃうことと、それをちょっと続けてみるぼやき

地震があるたびに、大地震が来ることを想像してしまう。
5分後にそれが来るとしても、結局は今をどうにかしていくしかないんだよなという話。

5分後に何かあって、死んでしまうかも知れない。
そこまで極端ではなくても、逮捕されるとか、誰かと会えなくなるとか、
ケータイが繋がらなくなるとか、風邪をひいて寝こむとか、起こりうるわけだ。

何かが起こる原因は自分の中にあるかもしれないし、
原因は自分にはどうしようもなくても、対処は自分次第でどうにかなったりすることもある。
でも原因なんて無数あって、すべてを排除することは不可能で、その上で統計的な情報と
、時間的金銭的コストと重ねあわせた上でリスクを考えていけばいいのだろうけれど、
全然そんなことはしていない。

なにかしら、リスクのことを俯瞰して考えることをしてみたほうがいいのかな。
でもそれを考える余裕もない。
余裕によってやるべきことではなく、やりくりして時間を確保すべき問題だが。

話がそれた。
5分後に何かが起こる可能性は絶えずあるとして、
それに対する曖昧な不安も、これまでして来なかったことに対する後悔も、
考えてみたところで、結局5分でどうにかするような問題ではなく、
そもそもその時々のいまが大切なんだよあという話。

そして、ぼくにとって、『いつか来る終わり』は奮い立たせない。
そもそもの問題は、目の前の問題を超えるのではなく上手く避けようとしてばかりの、
今を蔑ろにしてばかりの自分がいけない。

結局、今、大切だと思うことを、今すぐにやる。それを続けることなのだ。
それができないで逃げてしまうから、時間制限を設けて、ちゃんとやれよってことを自分に言い聞かせる。

いつかくる終わりを想像できないなら、終わりを自分で設定して、本当に終わらせるしかないのだろう。

今のところ、そうすることでしか、ぼくは今を生き続けられない。

今は絶えず変化していくのだから、今の今の終わりが次の今に影響する。

今を生きろ  

  1. 2012/11/24(土) 18:27:34|
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