コストについて。

コストという言い方。

調整コストという言葉を使った一連の話を一通り見た後で、気になり始めた。(http://togetter.com/li/211025)


コストがかかるのには理由があるし、コストがかからなければいいというわけじゃないでしょう。

調整コストの話を、僕なりにまとめ。調整コストがかかりすぎる人がプロジェクトメンバーにいたら、プロジェクト自体が難航しやすいよ、ということでしょうな。


プロジェクトという枠で区切った目的では、調整コストが高い人は、面倒くさい人になるよ、と。

(と、自分含め誰しも、調整コストがかかっちゃうものだよってことを頭の片隅においておけないと、辺り構わず調整コストをかけて、めいわくがられるかも)


ただ、プロジェクトという枠を取っ払った、いわゆる人生におけるところで、調整コストのことをとやかく言われても、それは人間はそういうもんなんだよっていう意味で、お門違いで、調整コストがかかることは、そういうもんなんだよって思う。



あ、それで、忘れてた。コストという言い回し。

コスト削減っていい方があるけど、それでは一部分のみを取り出した言い方になっちゃってる。

ただコストって、その分何かを生み出してるはずでさ。生み出したものがいらないよっていわれることもあるかもしれないけど。

ただ、コストがかかった分、わかるものわからないもの含めて、何かが生み出されてたはずで、コストを減らせば、生み出されるものも、減るはず。(質量保存則とか、エネルギー保存則になぞらえて、そう思ってる。)

コストを減らすのなら、どのような生産性を無くすかを考えなくちゃなってことだと思って、それは悪いことじゃないけど、ちょっと寂しさもあるよねってわかった上で、減らしたいよなぁって思う。コストっていい方してるとさ、削れれば削れるほどいいこと見たいに見えて、それはちょっと苦手だなーって感じたんです。


でだ。

だから、コストをかけるところにはちゃんとかけて、ただ垂れ流しにするほど余裕もないし、使い捨てはしないですむところではそうしたいので、ちゃんと選んで、ということをしたいと思いました。

  1. 2011/11/19(土) 04:49:28|
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