シェアアトリエ、雑想

シェアアトリエを構想している。
頭の中で思い描いているが、どのように具現化するかはわからない。具現化するといいなぁ。

シェアアトリエを考えていると、思い浮かぶことはたくさんある。
連想がパッパッと出てくるとき、ひとつの言葉がべつの言葉をかき消してしまう。
ひとつの言葉を残し、ひとつひとつを辿るための手がかりを残したい。

シェアアトリエ、と言うが、ひとつの部屋を、人と一緒に安く借りたら、何が出来るかという話だ。

夜間の学校に通っているのだが、授業が終わったあとに友達と一緒にいる時間を作るのが、ちょっと難しい。
時間の問題とお金の問題だ。終電まですぐだし、そんなにお金かけらんねえし。
でも、デザインの話とかで盛り上がりたいなーとか、そういうのもあったりする。
そういう話をする場も、なかなかないのだ。
それなら、風呂はなくても泊まれるところがひとつあれば、結構いいんじゃねえかなと思うんだ。  
熱く語るのもよし、制作するもよし、寝るもよし、ダラダラするもよし。
場所があるだけで、だいぶ、楽だと思う。

ものを共有することも出来る。
本などの資料、制作物、道具、など。その他、何でも、面白いと思うものとか。

ギャラリーとして開くことも出来るのではないかと思っている。立地によっては。
展示のために場所を借りると、お金がかかる。
しかし、安く借りている部屋をギャラリーとして一定期間使えば、実際そんなにお金はかからない。
同時に、ギャラリーとしてオープンにすると、その場所を通じた人との出会いも作れる。
そういうことできたらさ、なかなか、うれしいよなぁ。

数人でシェアしていると、誰かがやめたいとき、どうするかという問題が出てくる。
学校だって、あと1年もしないうちに卒業だ。
それだってポジティブにとらえた方が真っ当な気がしていて、
誰かが抜けたときに、他の誰かが入ってくるという仕組みがあったほうが、
人と人との繋がりだって増えやすいじゃないか。
アトリエをシェアするのなら、ルームシェアほどの心労もいらないだろう。

シェアするときに、ある程度の金額を出してくれる人、というのを集めたいのだけれど、
お金を出しているかとか関係なく、その場をたくさんの人が活用できるといいと思う。
お金を出している人には、その人だけの特権というものは出てくると思うけれど、
お金を出していないから使えないとか、そういうことをやったってつまらない。
来たい人は、来てみればいい。
あ、でもよかったら、何かを残して行ってね、とか。

なんかさ、いい感じになると思うんだよなー。
大した困難もなく。

なんていうかさ、今まで教えられてきたり体験してきた社会の仕組みとは、
大きく違ったところで、みんなが当たり前にやりたいことに通じる抜け穴があるような。    

  1. 2011/04/24(日) 00:21:36|
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浅薄

自分の浅薄に反吐が出る。

余計なことをたくさん言うし、言うべきこともうまく整理できていない。
そのまま、言葉にしてしまう。

普通に、ただ、話したいことを話せばいいのだけれど、話したいこと、なんかあったっけ。

意識が沈黙しようとして、その分無意識が叫ぼうとしている。
自分の発することのほとんどが、言ったって仕方のないことになっている。
あぁ、でもそれは、黙り込む理由にはならないのだ。
むしろ、もっとおしゃべりになった方がいいのかもしれない。
しゃべってもいいなと思えて、しゃべりたいことをしゃべれるようになるように。

考えることから、自分が変わることから逃げたから、そのぶんのしっぺ返しだ。

僕は、ずるいな。やったほうがいいことの、反対ばかりをしているよ。悲しい。

他人をずるいなと思ったときは、やっぱり自分もずるかった。
自分のずるさを、他人のずるさのせいにしてしまったから。

人から逃げてはダメやね。
等身大でいこう。

  1. 2011/04/23(土) 00:22:11|
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表現が怖いという感情

表現するとき、これまでにあった枠をなぞるような作業と、
自分のイメージを人に届けようとする作業がある様に思う。

前者の枠をなぞるような作業は、誰でもわかるようにするために必要で、
たとえば新しい形式の本を作りたいからといって、
下から上に向かって文章を書いたら、読みづらくて仕方がない。
突飛すぎると、届かなくなる。
下から上に向かって読む文章だって、あり得るとも思うけどね。

同時に、たとえば文庫本が、本当に縦書きがいいのかという問いもあり得る。
横書きの方がいい状況だって、たくさんある。
電車男なんて、横書きなのは当然のように馴染みきってる。
僕は本は基本的には縦書きが好きだけれど、これから出てくる本も、本当に縦書きがいいかは疑問だ。
文章に触れる機会が、印刷物でなく、コンピュータからのほうが圧倒的に多い人は、
縦書きの本は読みづらいと思っているかもしれない。ケータイ小説だってあるし。

しかし、そういった状況で、既にある本を横書きにリニューアルして出し直そうとしたら、
それをする人は、すごく怖いと感じると思う。 正しいと言う前例がないから。
しかし、本というものがありそれを読む人がいるのなら、
読む人が変わってきたら、本も変えて行こうとするのは常識の考えだろう。
その答えが本当に本を横書きにすることなのか、また、大きな反発は来やしないか、
さらには、文字文化を決定的に変えてしまうのではないか。

そんな恐れは、拭いようがない。

表現するとき、それがオリジナリティ、つまり他にはないものを持つとき、
当然そこには、前例がない。丁寧に想像していっても、正しいと確信するのは難しい。
しかし、それでも、それこそが表現の醍醐味であったりするし、
そういった表現が、何年後かの普通を作ったりもする。

前例がないということは、とても難しい。
ちゃんと自分の頭で、具体的に、ひとつひとつ、イメージしていくことが必要になるんだ。
さらに前例がないから、どうやったら、「考えた」ことになるのかも、わからない。証明できない。

証明できないということは、言い訳できない。
未来のことを予測しきることはあり得ないし、過ぎてみれば当たり前のようなことだって、
ほんとに簡単に見過ごしてしまう。それを、言い訳できないのだ。

しかし、それに向き合うことが、未来を作ることなのだ。
そして、自分の未来を作るのは、あくまで自分である。
ぼく、昨日のためでなく、明日のために、表現をする。

だから表現を発表するとき、怖いと思うのは当たり前で、
むしろ怖いと思えなかったとしたら、それは本当は必要のない、何にもならない表現をしているのかもしれない。

この考えが正しいとしたら、勘違いはされまくるだろうし、やることはかなり厳しいところがあるよなぁ、生きることっていうのは。

ただ、(あくまで自分の)未来を作っていく快楽は、かなりのもんだ。

  1. 2011/04/19(火) 01:26:31|
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あいさつ

あいさつが大切なのは、一方向じゃなくて、双方向のコミュニケーションをしたいから、なのだ。

  1. 2011/04/19(火) 00:59:56|
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ごきげん

コミュニケーション能力とかコミュニケーションの問題は、よくわからない。

が、そこに繋がるようなことで、具体的にやりたいこと。

ごきげんでいよう。

今日、ブックオフにいったら、ポジティブの本とか、上機嫌の本とか、笑いの本とか、そういうのに目がいった。

へー、考えることより、気分に気持ちがシフトしてるなーって。

  1. 2011/04/18(月) 00:11:15|
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