考えないこと。考えること。

考えることが、考えないことから区切られてしまっては行けない。

時折、思いついたように考えて、考えたつもりになって、よく考えたと思っても、
普段から、生活のいろいろと向き合って、いろいろを考えている人に比べたら、
考えるということの自体の中身が、大きく違ってくるだろう。

考えることなんて、そんなたいそうなことではないのだ。
とても大切なことだけれど。  
あたかも頭を使っていることが偉いことのように考えたり、
そもそも、頭ばっかりで考えたりということをしないように、
手で足で身体で考えられるようになりたい。

  1. 2010/09/30(木) 13:31:52|
  2. 未分類|
  3. トラックバック(-)|
  4. コメント:0

デザインと間と文化

デザインで、間が大切だという話を、よく耳にします。

この、『間』というもの、言葉をちょっと聞いたイメージからは、
日本に特有の文化が持っているようなものだとなんとなく思っています。

それがあっているかどうかはわかりませんが、
あっているとしたら、と仮定してみますと、
デザインというものの中心に、
日本の文化で培われてきたものが据えられるようにも思えてきます。

しかし、デザインの歴史を見てみると、
デザインは日本で発生したものではない。
(デザインとも呼べる、日本で発生したものはあるでしょうが、
デザインよりももっと妥当な呼び方があるでしょう)  

海外でできたデザインが日本特有の文化を中心に添えて発展できるとしたら、
それは日本文化という構造を、デザインという媒体で体現されると言えるのではないか。

デザインという媒体のどのような性質に、文化の構造のどのような特質を当てはめるか。
ちょっと、そんな風に見られる気がしてきました。

裏側に隠れている本質を、それとは別のもので体現する。
そんなことができれば。

でも、僕のダメなところは、
そういったことを頭で考えることは出来ても、
制作中にそれを織り込みながら手を動かすことは全くできておらず、
つまりは、ただ頭で考えた、つまらない論理ということになるのです。
そんな次元のものだから、恥ずかしげに、頭の片隅に隠しておいて、
何かを作ることにします。

    

  1. 2010/09/30(木) 08:53:54|
  2. 未分類|
  3. トラックバック(-)|
  4. コメント:0

バカ。

僕はバカだよ、って、よく思ってみるし言ってみる。

バカって言うことはさ、バカって言うのを規定する共同体があってこそのものだったりもするかんね。

そのさ、共同体に属するつもりなんて毛頭ないぜって言う意味で、
そんなもの、知ったこっちゃないし、
むしろ足を引っ張ってやるよっていう意味で、
僕はバカだぜって、いつでも、そんな風に行きたい。

真実を握りしめたい。

  1. 2010/09/28(火) 00:33:38|
  2. 未分類|
  3. トラックバック(-)|
  4. コメント:0

考えること。

なんとなく考えていることを、文章にしてみることはいいですね。

ただし、読ませれるがわからしたら、いい迷惑ですが。ちゃんとまとめないので。

さて、本題。

頭だけで考えたことって、つまらないです。
概念的になりすぎて、つかめなくて、なにかと繋がることもなくて。
そして、遠い。
そんなこと言えるのは、遠くから見てるからじゃねえかってことを平気で言えてしまう。
それが 恐ろしいこと。

作品を作るときに、アイディア考えてみたりするけれど、
実際に作ってみると、考えた通りにはなかなかいかない。
ただ、そんなことって当たり前で、
むしろ考えた通りにはいかないというところにこそ、
考えるべきものがあったりして。
頭でばかり考えていると、手を動かしているときに、
手と連動した考えということができなくなってしまうことがあるんです。
考えるということが考えるということで独立しすぎてしまって、
自分がどうしているかとか自分を観察して、そこから考えると言うか、
そういったことができづらくなってしまう。
それは、不幸なことだと思います。

頭で考えてしまうと、その考えたことが正しいこととして、
不変の理想としてセットされてしまいやすいと思うんです。
その考えの方に、行為を近づけて行くことになる。
でも実際は、考えと行為を、お互いに影響させて、
お互いに変化させて行くことが大切だし、楽しいのだと思うんですよね。

うまく言えないんだけれどさ。

脳は、すごいと思うけれど、
それだけを単体で取り出してみたものだとたいしたことねえぞって思うんです。
むしろ、何かと繋がったり、何かと何かを繋げるのに、
脳の活動の醍醐味はあるんじゃないかとも思うくらいで、
そういうわけで脳内でばかり考えたことなんて、
そんなものはたいくつじゃねえかっていうことになるんじゃねえかなって思う。

脳の能力の、すごい部分を取り違えてしまったらもったいないよなー。

そして、ほとんど何もわかりはしないんだよ、っていうことを、前提に持っておくことは重要。

  1. 2010/09/27(月) 01:42:31|
  2. 未分類|
  3. トラックバック(-)|
  4. コメント:0

速度のこと。

なんだかイライラしてしまうときがある。よくある。

イライラしているときは、何か原因があるのだろうが、
振り返ってみると、
自分の内側の速度と、自分外側の速度が、
うまく噛み合ないときだ。   

何が良い悪いではなく、そういうときにイライラが発生するのかもしれない。

原因があるように見えて、実はそれは原因ではないのかもしれない。
原因を探るばかりで、速度を調節できなければ、
結局また別のことでイライラすることになるのではないだろうか。

因果と思っている関係が、
実はただ因果的に見えるだけのもので、
そういった視点から説明ができるというだけの話でしかない
ということはありえるだろう。

それがほんとうにほんとうなのはかは、確かめようがないかもしれない。

そしたら、何をよりどころにしたらいいか、と思えてくるのですが、
自分の身体、自分の感覚、自分の思考、というものを、
どこまでがどうして自分のものと言えるのか、
ということを考えてみたらいいのかもしれない、
と思うようになりました。

なにより思うのは、今までに正しいこととして教えられたことなんて、
大抵がどうだっていいことなんだってことです。
自分の中で反芻して、経験とか知識とか理想とか、
そういったものとすりあわせて、
もう体の一部分になっちゃって切り離せねえやってくらいになって、
やっと信じられるんじゃないかなー。

や、つまり、自分の速度、ということになってくるんですよ。    

すんません、わかりづらいことをわかりづらく書きました。

  1. 2010/09/27(月) 01:19:19|
  2. 未分類|
  3. トラックバック(-)|
  4. コメント:0
次のページ