相対

ふたつのものが、本当はひとつであること。

上があるのなら、下がある。
上と下を分けてしまう前から、上とか下とか呼ばれるものはあった。
なにより、下を強く実感することで、上をより実感できたりする。
跳び上がる前には、大地を強く踏みしめる。
下に向かって、より大きな力を加えた分だけ、高く跳べる。

音楽をよりよく聞けるときは、沈黙やノイズも意識できている。
ずっと本を読んでいて、活字ばかり見たあとに外へ出たとき、
世界はいつもよりも深い色をしていた。

ひとり、自分の中に潜り込んで行く時間があってこそ、
より深い人とのコミュニケーションを持てる。

生きたいとほんに願うのは、死が近いときだろう。

陰と陽、一方がなければもう一方がないのなら、
両極で一体なんだ。太極。

ふたつでひとつと見えるものを、
ふたつに分けることをしないでひとつのものとして見ることは、
とても難しいことだから、
せめて両極ともに目を向けたいと思うんだ。

  1. 2010/06/27(日) 01:55:44|
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(ミッフィー)

どうやってみるのかな。
こっちからみるのかな。
あっちからみるのかな。
わかんないな。

ぼわん!![ドゥースブルフ登場!] 

 

(ドゥースブルフ)

よく聞いてくれたね。
僕はドゥースブルフ。
この絵は、僕と一緒にデステイルというグループで活躍した、
モンドリアンの作品なんだ。
この絵をじっくり見てごらん。

水平と垂直の直線で、形ができあがってるだろう。

(ミッフィー)

うんうん。

(ドゥースブルフ)

そこに出来た四角形の中を、赤と青と黄色と白と灰色とで塗っているんだ。
こうやって絵を描くときの要素を限定させて、自然の見た目の色や形が絵の中に見えないようにしているんだ。

(ミッフィー)

なるほどー。
だけどさ、どうして、そんなことをしなくちゃいけないの?
きれいって思ったものを描いたらいいじゃない。

(ドゥースブルフ)

うん。そのとおりだね。
きれいなものを、絵に描きたかった。
僕は、自然の見た目では見えない自然の美しさを描きたいと思ったんだ。
だから、見た目の自然が見えなくなるように、絵画を構成していったんだ。

僕らの生きていた時代には、こんな風な奥深くにある美しさを求める運動が起こりはじめた。
だからそのころに新しく生まれてきた絵画を見るのが難しかった。
それまでやってきた見方ではわからない絵画を、たくさんの人にわかってもらいたくて、
仲間を集めて、『デ・ステイル』という雑誌を作っんだ。

僕らが広めたいと思ったことを、とても熱心に考えてくれて、この絵も描いた、モンドリアンに話してもらおう。

(続く。)

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今までの絵描きは、自然を見て、それを絵に描いてきた。
でもそれは、自然の見た目の美しさでしかないんだ。
自然そのものの美しさを見るために、
表面的な見た目に現れるものを排除して、自然の核心部分の美を表現したかったんだ。

僕らの生きていた時代に、こういった普遍的な本質を求める運動が起こりはじめた。
だから、それまでやってきた見方ではわからない絵画を、たくさんの人にわかってもらいたくて、
僕は仲間を集めて、『デ・ステイル』という雑誌を作ったんだ。

  1. 2010/06/25(金) 14:25:00|
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会話

会話をするとき、人は何をしているんだろう。

何かしらのやりとりをしていることは確からしい。それはわかる。
そしてそこでは言葉がやり取りされる。 それもわかる。

声を聞いたり仕草を見たり目を見たり見なかったり。
声だってそれぞれあるし、しゃべり方だってそれぞれで、
言葉遣いも、考え方も、それぞれにある。

そこでは言葉が交わされてはいるんだけれども、
お互いに何を読み取っているのか。
いや、何を読み取っているか断言なんて出来ないんだけれど。   

相手の言いたい内容を読み取ったり、感情を読み取ったり、
機嫌を読み取ったり、場の空気を読み取ったり、
その会話を通して何をしているの、ってことになる。
それだって場によって違うし、どんどん流れているんだろうけれど。

言葉で話しているのだから内容が大切なようで、
なんだかんだ実は、そこに流れる雰囲気や感情が大きな力を持ってたりする。
それはさ、『空気読め』って言葉にも現れているし。

もっと言うと、おそらくその場で力を持つ人が心地よいことが重視される。
声の大きな人が心地よくいるための会話。
いや、そんな単純じゃないんだけど、僕は小心者だからそんな風に見える。
声の大きな人が好きに振る舞えるかと言うと、そうでもないし。  
ただ、大きな声は小さな声をかき消す。
だから、声の大きな人の心地よさへとたどり着く。

その中で、声が小さくても心地よく話せるようにもしたい。
僕はそういう場が好きだ。
声の大きさじゃなくて、人の話を聞きたいのである。
だからか、僕が一対一で話すのを好むのは。
聞きたいばかりじゃなくて、言いたいし。

会話では心地よさ、気持ちよさが大切で、
それには内容も感情も機嫌も場の空気も、含まれるらしい。
難しいねー、こうやって考えてみると。
でもつまり、会話に参加している人の目線になってみようよってことだね。

  1. 2010/06/24(木) 01:09:32|
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自分に嘘ばっかりついているような気がしてきた。
嘘とか、概念とか、観念とか、幻想とか、そういったものが、
僕の中でむくむくむくむくふくらんでいく。

そういったものは、増殖する。情報と一緒。

空気公団の歌詞を思い出す。融という曲。

知りたいのはそのことではないのだ
僕が手を伸ばした
君の影が小さくなりかけている
言葉を使いすぎた
信じているさ
だからもう何も話さなくていい

それは僕にできることの全て   
信じているさ
こんなことなんかすぐに忘れられる

そういえば、融という言葉が大好きだった。
近ごろは、遊という言葉が大好きになってきている。

信じているさ。だからもう何も話さなくていい。

  1. 2010/06/23(水) 13:34:00|
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コミュニケーション

人と人とのコミュニケーションは、楽しいのがいいね。

人と人とのコミュニケーションは、ひとつの場を何人かで一緒にいなくちゃいけないから、
自分が自分のまま、そのままではなかなかいられない。
押すのも押されるのも辛くないように、柔らかいといいね。
怒ってる人を見るよりも、笑っている人を見た方が心地よいから、
笑っていられるといいね。

きっと、柔らかくいたり、笑っていたりすることは、
頑なになったり、怒ったりすることのベースにもなるんだ。
柔らかくいるからこそ、ちょっとの頑なで通せる気がする。
笑っているからこそ、あまり怒らなくてもわかってもらえる気がする。

感情が内側にこもって、淀んでしまうことを、減らしていこう。
それを外側に出しやすいように、信頼関係を作れたらいい。
だって、競うことはあっても、敵じゃあるまいしね。  

  1. 2010/06/21(月) 14:29:35|
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