『詭弁学派、四ツ谷先輩の怪談』

週刊少年ジャンプで連載中の『詭弁学派、四ツ谷先輩の怪談』が、面白い。
少し前に読んで、よくわかんないなりにとても面白かった、吉本隆明さんの共同幻想論と結びつく。

共同幻想とは、共同体の持っている観念のことで、例えば国家は、
国家というものが実体としてあるわけじゃないけれど、共同の幻想として、
存在するように感じられる。

『詭弁学派、四ツ谷先輩の怪談』はその舞台となっている学校内で
共同の幻想を作り上げ、怪談を成立させようとする。
逆に言えば、怪談は幻想の中でのみ成立する。
殺人事件が起きたとしてもそれは怪談とは言えなくて、
そこから発生する呪いや祟りといったようなものこそが怪談なのだ。
実体を持たないものを幻想として作り上げるための土台に、
四ツ谷先輩は怪談を学校中に広めていく。
頭の中に幻想が出来上がってしまえば、
その幻想へと繋がっていく“現実”を仕立てて、
幻想を現実世界と結びつけて感じさせればいいのだ。

『詭弁学派、四ツ谷先輩の怪談』は現実と幻想の間を彷徨う物語なのである。

  1. 2010/05/31(月) 22:25:49|
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2010/5/30

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うみねこ

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息抜きに、日記を更新する。
息抜きのつもりがメインになってしまうのが、僕の悪い癖。
そういえば毎日分の日付でブログを更新しようと思っていたけれど、
形式的に日付ばかり埋めていっても、何の意味もない。

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海に行った。
近づくと、波の音が大きく聞こえてくる。
海を見ていた。
しばらくすると寒くなってきた。
大きく変わっては見えないけれど小さく動きつづけているものを見ているのは楽しい。  

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部屋を片付ける。整理されているほうが、無駄な時間の使い方が減るな。

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そろそろ、ちゃんと、お仕事を探そう。

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『脳と仮想』を少しだけ読んだ。

その意味では、数学を成り立たせているのは、
徹頭徹尾、この世界にはどこにも存在しない仮想である。
数学の歴史とは、そのような仮想の間の関係を、
論理と整合性を保ちつつ構築することであった。[脳と仮想 p.116]

脳内での活動と自分の意識している認識について大きな差異があるじゃないかと
気づかされるのだが、そういった認識の方法を崩してくれる本が好きだ。
この世界は、こんなにも薄っぺらいはずかない。
世界はこんなにつまらないはずがない。
だから僕は、活動するのだろう。
だから僕は、それが見えないとずっと眠っている。

  1. 2010/05/31(月) 03:10:48|
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ブログとツイッター

僕にとっての、ツイッターとブログ。

ツイッターは、浮かんできたばかりの言葉を小さいままに吐き出していけて、
それをちょっと人の眼につくところにおいておけるのが、なかなかいい。

ブログはツイッターよりももっと孤立したところにあるのがいい。
読みたい人は読めば良くて、読みたくなけりゃほっとけばいい。
たまーに覗いてみるって言うスタンスもある。
だから書くとき、自分の好き勝手にできる幅が広い。
ブログという場は、自分で自分の考えで作る部分が大きいからね。

言葉の奥のほうにある、あんまり人に話すのに向かない言葉達は、
コミュニケーションというか繋がりというかそういった仕組みの弱い、
ブログのほうがやりやすいんだ、僕には。

それとね、コミュニケーションや繋がりって、仕組みでかなり良くしていける反面、
仕組みじゃたどり着きづらいところにグイッと踏み込んでいくような、
偶然なのか相性なのか縁なのか、そういったものもあったりするんだ。
偶然的で運命的な繋がりの発見。


僕の場合は、ツイッターとブログで、表現するときの潜り込む層が違うのかもしれない。

  1. 2010/05/30(日) 01:37:42|
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○○はとっても大切。でもそれは目的ではないよ。

○○はとっても大切。でもそれは目的ではないよ。』という考え方があると思う。
いろんなものが当てはまるよね。

利益、仲良くすること、勉強、読書、技術、サービス、考えること。
他にもいろいろあると思う。

目的じゃないのなら何なのさ?って疑問も、生まれてくる。
それはそれぞれで考えたらいいと思うのだけれど、利益に関しては、
ドラッカーさんは条件だと言っている。

そして目的は、何?っていう問いも出てくる。
自分は何がしたいんだろうっていう自問自答がそこでは必要になるんだ。

とっても大切だけれど、目的じゃないことを目的だと思い込んでしまったときに、
僕はいつもガチゴチに固まっていってしまうんだ。
柔らかく生きられたらと願っていても、柔らかく生きることを目的に据えてしまうと、
柔らかさは少しずつ失われていって、僕はガチゴチに固まっていく。  

○○はとっても大切。でもそれは目的ではないよ。』と思うこともさ、目的じゃないの。
だからもっと、いろんなことにとらわれないで生活して、きっと大丈夫なんだ。

大切なものは大切だからこそ、それがどういったもので、
どこから来て、どこへ向かっていくものなのかを意識してみて、
関係を見つけていけたらいいよね。

イトイさんとか横尾さんのツイッターを読んでて、
仲良くしようとか、デザイナーは仲良しクラブと言われるほど相手の仕事を
褒めちぎっていて不気味だったとか、そういう話を聞いてて、
うまく言葉にできていなかったことがやっと表面化してきて、
大切だけど上のほうに添えてしまったら何かがおかしくなりやすそうなことって
いろいろあるみたいだなーって思って、こんなことを書いてみた。

  1. 2010/05/29(土) 02:01:05|
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2010/5/25-26

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暗い林の中を、白いビニール傘で。

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モノを愛せよ。
そのために、デザインをやりたいって思ったんだろう?

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もぎけんpodcastの白洲信哉さんの話が面白い。青山二郎の話が面白い。

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読書が出来なくなってきた。
入り込めない、進まない。
焦りばかりが積もっていく。

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今日の読書は、『ミクロコスモスⅠ』と 『脳と仮想』。
久々に引用してみよう。

こんな現実があるのではないか、と思いめぐらす仮想は、現実と衝突し、
そうではなかったと判った瞬間に、現実との椅子取りゲームに負け、闇へと消えていく。
そのような仮想が、振り返られ、愛おしまれることは、この実際的な現代では、滅多にないのである。
[脳と仮想 p.52]

認識は、現実世界から出発して、やがて仮想世界をその本拠とし始める。
「真理」も「美」も「善きこと」も、全て、仮想の世界の要素である。
仮想の世界の要素が、その本性を全うするには、現実世界とのマッチングはむしろ邪魔になる。
現実に対応するものがあるかどうかに拘らず、仮想世界の固有の理論を
追求することの方が本来的な問題になる。[脳と仮想 p.64]

画家のヴィジョンも同じ事で、肉眼を越えて見ようとする努力が払われなければ、
ヴィジョンの意味をなさない。彼は、単に眼があるから見るのではない。
寧ろ、眼があるにも係はらず、見抜くのである。[脳と仮想 p.65]

 私たちの精神は、頭蓋骨の中の「今、ここ」の局所的因果性の世界と、
「今、ここ」に限定されない仮想の世界にまたがって存在する。
 私たちの精神は、本来的に二重国籍者なのである。[脳と仮想 p.68]

なるほど、引用も面白い。
僕が本を読み、僕が観じたところから感じたものを選び取り、それを提示する。
茂木健一郎さんが青山二郎展での講演でおっしゃってたこととも繋がるのか。

たとえば今日一日の中で、最高の言葉を一つ探して選びとった言葉なら、それは価値があるじゃないか。
僕が人生の中で選びとった言葉で、一番大きなものは恐らく、「楽しんだ者、勝ち」だ。
それを酒の肴にして語れるくらいさ。実際、昨日やったし。
選ぶということを、恋人を、親友を、配偶者を選ぶようにやってみたものなら、  
選んだということに価値があるじゃないか。

さて、引き続き引用をしてみよう。
今度は中沢新一氏の 『ミクロコスモスⅠ』から。

神話の思考はいつも何かの欠損から出発する。世界が完全無欠で、
どこにも傷やほころびがなかったとしたら、神話の思考は動き出さない。
そんなご立派な世界は思考するに値しないといって、
神話は退屈そうにあくびをしたあとで、そっぽ向いてしまうのだ。
完全無欠な精神だって?絶対的な正義だって?純粋なる光の存在だって?
好きにしてくれ。そんなものには関心がない。
神話にとって大切なのは、まず手で触れることのできる現実の世界なのだ。
そこは欠損にみちている。生きている者はみな死ぬし、
美しい姿を誇ったものも、いつかは腐り、朽ちていく。
思考はそのような世界を相手にしたときだけ、活気づくのだ。
そして、そのとき神話と哲学の思考が動き始める。[ミクロコスモスⅠ p152]

神道思想は宇宙の秩序がどのようにできあがった(天地開闢)か、
思考するが本来の目的ではなく、宇宙(天地)の開闢がおこる前の、
時間も空間も超えた場所(境地)に達することこそがめざすものであり、
この空間以前、時間以前、存在以前、秩序以前、思考以前を
「機前」と名づけて概念となすのだ。[ミクロコスモスⅠ p.160]

いいね、「機前」。
「機」という言葉を調べようと思ったけれど、常用字解は貸してしまったのだった。
明日学校の図書館で、探してみよう。  機会。機械。

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デザインの専門学校に通っているのだから、表現よくそれ自体を僕は信じている。
それをないがしろにしたような枠組みは、なるたけ敬遠してやる。

  1. 2010/05/27(木) 02:26:55|
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