ぼやく

たくさん、たくさん、余計なものがこびりついていて、偉そうに何かしゃべるくせにお前は全然できちゃいねえじゃねえか、ってことになって、とてもいやなのだ。長年かけて培ってきたいろんなものが目を曇らせていて、そういうものばっかりで、どうにもこうにも、身動きが取れなくなることもある。曇りなき眼というのがヒントだけれども、言葉にとらわれていたらいけないのは明白で、言葉ではたどっていけない世界にどう向き合っていけばいいとかは言葉で考えてもわからなくて、それでもそれをできていたことはたしかにあったんだ。言葉で考えることがいけないのではなくて、言葉に因らない考えが言葉に因る考えに押しつぶされることがいけないこと。自分を守るために言葉の力を強めていって、その力にとらわれて言葉に因らない自然的思考ができなくなってきているのだ。両立は可能だろう。可能なはずな。つまらない枠にはまらずに、解放すること。解放しつつも、身の回りとの社会的な関係も保つこと。そういうことだ。自由は社会的な関係は減らしていく方向でいいのかもしれないが、とにかく今はそれが必要だ。必要な部分はきりすてることができない。それは現代社会を生きる上で欠かせないのだ。どちらにせよ、世界は自由にみちているはずである。それなにの僕が自由でないときは僕が自由でないときで、世界はあくまでも自由なのだ。そんな世界を祝福する。

  1. 2009/05/31(日) 10:15:31|
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潜水

うまくいくときは自分でもわけわからず、ただただ必然的にするべきことをしているとき。
振り返ってみても、どうやったのかはわからない。

論理以上の必然に踊らされたとき、自由になる。

言語に因らないやり方。

これを確立することはできるのかなぁ。

  1. 2009/05/31(日) 01:29:31|
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バラバラと書きます。(kc)

・その人が使っているフィルムによって、だいたいどのような写真を撮るのか、という傾向があるらしい。このフィルムを使ってる人はこの雑誌に載っているような写真を撮る、とか。
そんなに簡単に分類されてしまうような写真を撮るのは嫌だ。
でもそこからは全然抜けられていない。
そこで僕がすべきは、知識を得ずに純粋に自分の目で見たものを撮ることではなく、たくさん見て知り、自分のやっていることがどこかの分類に固定化されていく様に見えたら即座に解体を試みることだろう。曇りなき眼が必要だ。

・曇りなき眼って、自由のことを言ってるんじゃないかな。


・僕はそういうことにほとんど気を使う人ではないのだけれど、洗顔料を使わずにある石けんを泡立ってて顔を洗っている。天然だからいいとかそういうことはよくわからないけど、自分で実感できる量が増えるやり方はいいと思う。化学的に合成されたものをチューブにつめた薬品などは、その実態を知ることが難しくて、自分とは乖離したものになりやすい。


・昨日より今日のほうが優れているはずだというのは建築的な考え方で、今を生きるというのが流体的な考え方になるのだろうか。


・「茸」という漢字にはどうして「耳」が入っているのだろう。常用字解には載っていなかった。


・カフェイン、アルコール、ドラッグ、などなど。僕が日常的には体験しないものを体感しようとしたら、きわめて物質的なものに頼ることになる。ユメのようにフワフワしたような感覚を味わうのに、物質的な作用に頼るのだ。
宗教的な体験の深いところまで潜り込んでいくことができれば、あるいは化学物質抜きでその様な世界へたどり着けるのだろうか。呪術の領域。


・何かを言葉で表現するとき、縦並びの言葉でなくて、横並びの言葉を使いたいと思うようになってきた。強い、弱い、は縦並びだ。深い、浅い、も。深い、広い、だと横並びと言えるんじゃないだろうか。ある価値基準でどちらが勝っているかを言葉にするのではなくて、それのもつ特性を言葉にしたいのだ。

・比較対象を持たせるということは、分析対象と比較対象を結ぶ線が軸になって、その軸で考え方が固定化されてしまいやすい。比較対象は複数無ければならない。
もちろん、比較以外の手段をとるのもよい。


・デザインとかアートとか、そういう分類はどうでもよい。
ただし、デザインとアートの臨界点には興味がわく。
アートのほうには行くことのできないデザインや、デザインのほうには行くことのできないアートもたくさんあるだろう。


・主観的でいい。音を色や形で表現してみて、その色形をまた音に変換してみると、もとの音との違いはどのようなものになるんだろう。


・五感という呼び方で、五つの感覚を別物として切り分けて認識してきた。
それによって研ぎすまされてきた感覚もある。
しかし、感覚同士でリンクするものもあることも忘れてはならないし、リンクを意識することで結合も強くなっていく。


・近頃文字に関わる時間が減っている。書き物も読み物も。
僕はよく、近しくなってきたものとは少し離れる時期があるんだ。

・文字と文学って、字が似過ぎ。


・物事を固定化させていく力が強いところで生きたくはない。
社会はその力が強い。
社会では生きていけないんじゃないかと不安になったけれども、たぶん僕が望むような生き方をできる場所も社会の中にはあるだろう。
自分で探さなくちゃ見つからない。
自分からアプローチしなくちゃ近づけない。


・身の程知らず。身の程なんて知りません。自分で知れる部分だけを自分とするのなら、自分の中のほんの一部分だけを自分として扱うことになる。


・いろんなことを知ってるのはスゴいことだ。
ただそれはいろんなことを知ろうとした結果じゃなくて、関心のあることをつなげていったら必然的にそうなっていったということなんじゃないかな。何かを知ることじゃなくて、何かをつなげることに重点がある。知識と知恵の違いかな。


・勘違いされるのも、伝わらないのも当然。
それでも伝えようとする優しさが欲しい。
ぼくはそこで、すぐに投げ出してしまいやすい。


・気がつくと呼吸が浅くなっていることがよくある。
そういうときは大きく息を吸い込む前に、吐き出せるだけの息を吐き出してみる。ゆっくり、大きくね。


・自由を語ることはできない。自由を歌うことはできる。


・今は、音を視覚的に表すことだな。

  1. 2009/05/26(火) 15:49:41|
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距離

自分から、大切なものから離れていくことがある。
意識的に離れるのではないけれど、大切であることには変わりないけれど、なんとなく疎遠になっていく。

別れではない。でも距離が開く。手に触れることが少なくなる。



あるとき、ふと手に触れてみる。久々に。
そうするとどうしたことか、しっとりと手になじむ。
問題さえうまく認識できなかったことを、意識すらせずに乗り越えている。


そういうことがあるのだ。
フッと次元を飛び越えてしまうようなことが。


芋虫と蝶の間。当の本人もどうなっているかわからないけど、必然的に飛び立つんだ。

  1. 2009/05/25(月) 01:12:33|
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深呼吸

息を大きく吸う前には、吐けるだけの息を吐くんだ。
吐いて、吐いて、吐いて、それでやっと、大きく、ゆったりと空気を吸い込む。
あとはじっくりと感じればいい。

  1. 2009/05/19(火) 00:22:05|
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