欠落

突き詰めていくと、人は、何かがかけてる。
あげ足を取るような細かいことじゃなくて、大切な何かがみんなどこかしら欠けてる。
だから人は、人と関わろうとするし、人を嫌ったりする。

突き詰めると、そういうことなんだ。

  1. 2008/09/29(月) 07:21:47|
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100日切りました

今年もあと100日切りましたー。
残り94日。

学生生活最後の年。
思いで作ろうっていうのよりも、これからいろんなことが変化していって、失ってしまうのが怖いものがあるなぁ。
同時に、無くしてしまった方がよさそうなものもあるけれどね。


ただ今は、未来との距離感が難しいところにいるみたいだ。
意識しないでいるには近すぎるし、ちゃんとその実態を見極めるには遠すぎる。




・結論(少々飛躍的だが)
未来のことも、過去のことも、今のことと繋げて考えよう。
未来のことをぼんやり思うより、そこにつながる行動にするに限るし、もうすぐ終わると言えども、今現在は学生なのだから、思い出作りみたいに、今を過去のことにするのはよそう。
今、やれることをせんとな。

  1. 2008/09/28(日) 11:07:01|
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モヤモヤ

たまーにね。たまーにだよ。

胸にもやもやがたまってきて、何をしててもなんだかすぐにイライラしてきて、ひとつのことを全然続けられないことがあるの。

そしていーっつも、原因はよくわからない。
気付いたら治ってる。
いつも寝たら治ってるのかもしれない。

今、そんな気分。

ゆっくりお風呂入って寝るのが一番いいんだろうな。

生産的なことをしようなんて思ったらいけない時間。

  1. 2008/09/23(火) 01:44:04|
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未来について

30年ほど前の人々が思い描いた未来は希望に満ちていて、新しい技術がどんどん世の中を便利に変えていくように思えていた。


今の人が思い描く未来は、年金ももらえなさそうだし、地球温暖化によって暮らしにくくなり、環境破壊も進んで、社会は格差が広がって、ほんの一部の人が信じられないほど裕福になり、その他の人はワークンブプア。景気も悪くなっていくだろうし、テロが世界中に蔓延してもおかしくはない。異常気象。食料危機。大地震。


極端に書きましたが。
かつては光り輝いていたのに、お先真っ暗。


しかしながら、どちらの未来であろうと、自分から関わって作っていこうという視点から見た未来ではない様に思います。社会の流れに流される価値観。
正直なところ、出来ることなら面倒くさいことはしたくないから、社会の中心の方へ入っていって自ら社会を作っていくのは、出来ることならしたくない。気ままにやっていきたいものです。

本当に気ままにやれるならばそれでいいんだけれど、気ままにいようと思っても、気付いてみれば社会の流れに流されます。

情報化やグローバル化が進んだ社会だ。社会から逃げようにもなかなか逃げられないのは仕方がない。
仕方がなくとも、流されるのは嫌だ。
それならば、自分の中の世界は自分の思うままに保てばいいじゃないか。
周りがいくらお先真っ暗だとわめいていても、美しい夕日は美しい。
仲の良い人といるのは楽しい。
恋人とともにいるのは至福だ。

普段の生活から、もっと良いものに感じていくことは出来るはずである。
ごはんはおいしいはずだし、身体を動かすと気持ちいいし、新しいものを知るのはわくわくするし、寝るのは心地よい。

どんなに世間が速く回っていこうとも、美しいものは美しいと言えばいい。

やろうと思えばいつでも、今までつまんなかったものが楽しくなりうる。
やろうと思ったときでなければ、出来ない。

思い立ったが吉日。
思い立ったことが心躍るものであればあるほど、すぐに手を動かして、始めてみる方がいい。
ちょっとした思いつきなら、ものによっては切り捨ててもいいけどさ。

今、始めてみることが、未来を楽しいものに見せてくれるし、実際楽しいものになっていくだろう。

人間は、動物だ。動くんだ。
頭ばっかり肥やさないで、手で、足で、未来を作ろうじゃないか。

  1. 2008/09/22(月) 21:08:31|
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信じているもの

信じているものこそ、疑わねば。

信じているものに対しては、盲目的になってしまうものだ。
だから信じているものの中間違っている要素があっても見抜けないし、信じているものが本当はもっと別の姿をしていても、気付けない。
それを悪用しようとしている人には簡単に騙されるだろう。


しかし、信じているものの中には、信じていることに気付かないほどに盲目的に信じているというものがたくさんある。
それに、何も信じることが出来ないのなら、どうしたらいいのかということになる。



基本的には信じ切らない、ということが重要なのだろう。
信じ切らないということが重要だということも信じ切らなくていいのだ。

信じることの変わりに出来ることは、2つ考えられる。
ひとつは自分の頭で考え続けること。
もうひとつは、出来るだけものを深く広く知ろうとすること。

頭のいい人なら、人が自分の頭で考えて信用できると判断したところで、人を騙すことは容易いと思う。世の中に詐欺が氾濫しているのを想像してみれば、人を騙す人はよほど巧妙だと思うべきで、自分は大丈夫だと考えるとそこには安心が生まれ、そこを突かれやすくなるだろう。
そんな、何にも信じられない人生なんて苦しすぎるとも感じそうだが、それはむしろ逆ではないだろうか。
世の中に人を騙して暮らしている人がたくさんいる限り、盲目に安心するのは浅薄だろう。
ちゃんと自分の頭で考え続けて、それを行動に移していく上で、本当に信じられる人や場所を、自分から探したり作ったりしていくのがいいんじゃないだろうか。

そして広く深くものを知ろうとしていけばものを見る視点は増えるし、具体的な信じて失敗したことを見聞きできることもあるだろう。
また、偏った考えに盲目になることも、少なくなってくる。
自分の目でものを見極める基準もいくつも持っておける。
自分の考えの間違いに気付けることもあるだろう。逆に自分の正しい考えを間違ったものに書き換えられる可能性もない訳ではないが。


今は右へ倣えの時代かもしれないけれど、他人のせいにすると失敗する時代でもあると思う。
別に自分に損害がなければ騙されてもいい。
それでも、知り、見極めた上で騙されていないと、大きな落とし穴に引っかかるだろう。



疑うって行為は、疲れるし、どんどん身の回りを暮らしにくいものに変えていくのも事実。
ハッピーなライフを送るために、信じることは、とても強い見方になってくれえるのだ。

だとしたら、自分が仕合せになることよりも人を仕合せにすることの方が、実は簡単なのかもしれない。

  1. 2008/09/21(日) 05:01:51|
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