棚上げ・不完全法

「棚上げ・不完全法」という時間術が書かれた記事があった。

勉強したり制作したりするときに、わからないことはとりあえず棚上げして明確にせず、文脈で読み取れる理解のまま先に進み、一通り終わらせる。
クオリティと時間のバランスになってくる。

特に理系の研究者にとってはシビアな問題らしい。

研究の世界では、100%のデータが揃わなくても、先に論文を発表したほうが勝ちだ。一方で、完璧なクオリティでも、発表が他人より1日でも後になれば、評価はゼロになる。そのため理系の人間は、不完全なデータを活かして、どれほどの成果が上げられるか、クオリティと期限を天秤にかけて作業している。

こういった環境では完成度などと言ってられないのは当たり前である。
しかし義務教育のレベルでの勉強では、そういった仕組みはなかった。
作られたペースで問題を解いていく。理解するためのカリキュラム。
集中力の持続の問題から授業時間の区切りがあるが、問題解決を時間と天秤にかけることはないのだ。
それをするのは、一夜漬けで試験勉強をするときくらいだ。
僕はそうだった。


だから、考えや行いに時間を重ねる能力が欠けている。
多少のアラがあっても、期限までに許容範囲のクオリティで全体を完成させること。どんなときでも、不完全になる“勇気”を持つことが大切なのだ。

時間に限らず、有限のものを使って何かを成し遂げようとするのだから、ある程度の不完全は必然だ。

完全にとらわれて身動きが取れなくなる前に、不完全に動き回ってみよう。

  1. 2010/03/02(火) 21:47:50|
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