ブログ引っ越し

ブログ、引っ越します。
こちらへ。
http://utataney.blogspot.jp/

過去の記事は引っ越しません。
こちらに新しく書いていきます。

  1. 2013/12/01(日) 22:02:38|
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ブログとツイッター

僕にとっての、ツイッターとブログ。

ツイッターは、浮かんできたばかりの言葉を小さいままに吐き出していけて、
それをちょっと人の眼につくところにおいておけるのが、なかなかいい。

ブログはツイッターよりももっと孤立したところにあるのがいい。
読みたい人は読めば良くて、読みたくなけりゃほっとけばいい。
たまーに覗いてみるって言うスタンスもある。
だから書くとき、自分の好き勝手にできる幅が広い。
ブログという場は、自分で自分の考えで作る部分が大きいからね。

言葉の奥のほうにある、あんまり人に話すのに向かない言葉達は、
コミュニケーションというか繋がりというかそういった仕組みの弱い、
ブログのほうがやりやすいんだ、僕には。

それとね、コミュニケーションや繋がりって、仕組みでかなり良くしていける反面、
仕組みじゃたどり着きづらいところにグイッと踏み込んでいくような、
偶然なのか相性なのか縁なのか、そういったものもあったりするんだ。
偶然的で運命的な繋がりの発見。


僕の場合は、ツイッターとブログで、表現するときの潜り込む層が違うのかもしれない。

  1. 2010/05/30(日) 01:37:42|
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弟がフォルダを作ったことすらないらしい

弟が、パソコンでフォルダを作ったことがなかった。
やってみればできるけど、やったことはなかったみたい。

弟は家にいる時間の多くをパソコンに費やす。
それなのにフォルダを作ったことがなかったのだ。
驚いた。

僕がパソコンを使うのは、インターネットもかなりするが、集めた情報を整理して入れて、時には編集するのに使う。情報といっても、音楽や写真など。
しかし弟の場合は、集めるということをしないのだ。
僕は情報を私有しようとするけれど、弟は情報を共有のまま使って、その収集、整理、編集も共有でやっているんだろう。
パソコンはインターネットに繋がる窓で、その向こうで遊び回るのだけれど、それをこちら側に持って帰ることはあまりしないんだ。


いまの世の中は情報で溢れているし、その情報は手元に置いておかなくても手軽にとりに行けるんだ。
いままではひとつのコンピュータの内側で行われていたことも、インターネットの上でやればいい。
それが当然になっている。


思い返してみたら、僕も子どもの頃はそうだった。
友達のゲームをやるにしても、それがたまたま友達の家にあるからそこでやるけれど、それが友達の私有しているものだからなんてことは考えちゃいなかった。
グラウンドが空いていたから、グラウンドでサッカーをやったけれど、空いてる空き地でもサッカーしたし、家の前の道路でもやった。
面白いことができるところに行って、面白いことをやっただけだ。
その場所を自分らのものとして確保しようなんて考えていなかった。(たまには考えたかもしれないけど)

面白いことができる場所があったらそこに行って遊ぶ。
当たり前じゃないか。みんなそうする。
インターネットはそういう場所が見つけやすい。

自分がどうのこうのということに捕われていても自分のクビを締めるだけ。
オリジナリティー?クソくらえ。面白いところを見つけて遊ぶだけだ。



(面白いところがひとりひとり違ってきたりするから、オリジナリティーは出てくるし、そこは面白いんだけどね。)

  1. 2010/03/25(木) 14:02:26|
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ブログ引っ越したい。

ブログ、引っ越したい。
書いていることが整理されていないから。内容自体も、記事の分類も。

とは前々から思っているんだけれど、じゃあこの先どうしたいの、と自問してみても先のビジョンが明確じゃない。

アップロードしたいものならある。
文章、写真、絵、生活記録、読書記録。

だけど、どれほどオープンに見せたいか、どれほど見やすくしたいかが、とてもあいまい。
なにより手軽さがほしい。制作とアップロードの間の問題が腰を重くする理由になるのは避けたい。

考えは前よりも少しずつ前進している。
見ているブログをどう参考にできそうかもわかりかけている。

はやく引っ越したいな。

  1. 2010/03/22(月) 22:57:02|
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他人をみてイライラ。

先日、長谷川等伯展を見に行きました。
時間をかけてじっくりと見て回りました。
歴史的価値も、世間一般での見方もわからないので(恥ずかしいことですが)、自分の目で見るというやり方で見ようという試みです。
わからなくても、見続ける。
自然と目がひかれるところなど、目に任せて見る。

一番最初は見ることがかなり辛いのですが、続けていると見えるものが増えてきて、自分の中に投影して美しいなとかを感じられるようになってきます。(見方として正しいかも、その感覚が正しいかもわからないですが)

観賞するスピードはとてもゆっくりでした。
なので、たくさんの人の言葉も聞こえてきます。
その中の多くが、感想を言って、言葉にできたことに満足して、次のところにいく。
それは悪いことではないですし、そういう見方をしない人に感想を口にしない人、ひとりで来た人が多いなどのこともあるでしょう。
でも僕は、そこに批判的な意見を持ってしまいました。
そんな見方するなら、こんなところ来ないで説明文だけ読んでいればいいじゃないかと。
聞こえてくる発言になんだかなーと思ってしまったから。


さて、自分の見方が確立していれば、僕は恐らく、なんだかなーとは思わなかった。
そういう立場のそういう見方なのだから、なんだかんだ言ったり思ったりする必要はないのだから。
僕の中にも、作品自身をちゃんと見られていない見方をしている問題があるということが見えてきました。
作品には作者がいるんです。当然。
作者にとってその作品がどういうものなのかということを、僕は考えなさすぎなんです。
特に現代美術ではそれが重要で、それによってこそ作品それ自体を見ることができる。やっとスタートラインに立てるんだと思います。
しかも僕は、現代美術的なものを見たがります。

きちんとそれらを見られる人からしたら、今度は僕が見ることのできない人です。
だから長谷川等伯展で他人にイライラしてしまった。自分が抱えていた問題があったんですよね。
目だけではなく、頭も鍛えなくてはいけないのですね。
もっと、見えていない必要なものもあるかもしれない。

でも、楽しそうなんです。
快楽のほうへ、進みます。

  1. 2010/03/18(木) 00:01:01|
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